2年間睡眠時間削ってバイトしながら学校に通ったが流石にあん摩マッサージ指圧師の免許を手にした時にこれでいいかと思った。
でも田舎のマッサージさんが歳になりあん摩マッサージ指圧が大変になったので一年間札幌で鍼灸学校に通いに行ったという話を思い出して1年頑張って鍼灸の試験を受けて通った。
自分は二人目の子供が出来るというのが卒業間際に分かり開業するしかないと先生に話して開業をした。
もう少し,あと3年いたほうが勉強になっただろうなと今は思う。
3年くらいじゃなかなか感覚が出来ないというのは今だから分かること。
子供も出来たらますます自分のことだけではなくなってあっという間に時間が過ぎてしまった。
昭和のバブルはいざなぎ景気を超えて永遠に続くのではないかという俺の周りは景気は良かった。
そういうのとは無縁な商売。

儲けるならクイックマッサージみたいな組織化しないと駄目なことに気がついたが,職人タイプなのでそういうのは無理だなと諦めて愚直に行こうと途中で決めた。

バブルがドカンと弾けると景気が悪くなってきたのは3年後くらいか。
よくかかってくれた社長さんやら愛人の方達が一挙に塩を引くように消えていった。
また5年に一度くらいは高齢者の方やよく受けてくれた方たちが大きく回転して入れ替わるというのも分かった。
一念発起して最後だとばかり郊外の治療院を畳んで都心に出てきた。
景気の悪いどん底の平成15年くらいだったので都心に出てきたときは空き家と貸し部屋ありの窓からの広告を見て果たして都心で大丈夫なのか不安になったのを思い出す。
この場所を決めたのも半年くらいかかった。
最初は住んでいる近くの世田谷近辺と思って探してみたらなかなかいい物件がないことに気がついた。
いい物件とは,1階でここならやれるという肌感覚だ。
前の地域はこの肌感覚で見つけて開業した。
人が駄目と言われる地域でも出来る肌感覚があれば意外と行けることが多い。
自分の知り合いの治療院を見てみてもよくこんな場所で開業しているという人が何人かいる。
そのことを率直に伝えると笑いながらお前もだと言われた。