昭和63年辺りにあん摩指圧マッサージ・鍼灸学校に入学しました。

時はバブルで務めていた会社が弾けてしまった。
景気が良くても悪くても調子のいい会社もあれば調子の悪い会社もある。
人の人生も同じものでいいときもあれば悪い時ある。

そんな時に飛び込んだのがあん摩指圧マッサージ・鍼灸専門学校だ。
当時はまだ学校が少なかった。いまは鍼灸学校と柔道整復師専門学校はコネを使わなくても入られるほど多くなった。
当時は,金,コネが普通に幅を利かせていた。

実はこの時学校を受験したのは2回目でその3年ほど前に一度早稲田にある鍼灸学校を受験して見事コケてしまった。
流石に5回目の倒産やら解散にウンザリして自分で稼ごうと思ったのだった。
おばさんは健康マニアで「あんたマッサージの先生がすごく儲けているから弟子入りしなさい」とちょうど2回目の倒産か解散でホイホイと先生に挨拶に行った。

先生が言うには鍼灸でもマッサージでもなんでもいいから資格をとってくれば教えてやると言われ,先生のマッサージをお金を出して受けて帰ってから調べて受けたのが早稲田にあった鍼灸学校だった。
落ちたので東京に残って働いてお金をためた。
実家からも少し出してもらった。

3年後また受けるタイミングがあり受けてみたら合格した。
結婚やら出産やらで全くあれほど忙しかった時期はなかった。
止まっていたように思えた二十代後半から時計の針が動き出して後は走り出してずっと走りっぱなし。

高校卒業してから再び専門学校に通って,学ぶってこんなに楽しいのかと思った。
でも学校でこのままでは真面目に勉強しても開業できないと一ヶ月ほどで悟ったので友達と勉強会を開いたり評判の良さげな治療院に遊びに行って,手伝わせてもらったりした。

バブルだったのでマッサージの揉み子は引く手あまただった。
失礼ながらお金を頂いて練習するという気持ちで毎日練習とバイトをした。
チップだけでもいい小遣い稼ぎになった。

私の世代はちょうと地方自治体の免許だった。
あん摩指圧マッサージ師の免許は当時2年生の終わりに受験して3年生と同時に開業できた。
度胸のある同級生はすごにハガキサイズのかーどにコビーしたものを配って開業していた。

女の子だったけどそんなにすぐにお客さんって来るのか?と聞いたらすぐに来たよというのが驚いた。
近所で女性の指圧師を探していた女性で高齢者の人だったそうだ。
凄いと思い俺も開業の時のためにといろいろなシュミレーションを始めた。
何処で開業しようか?どうやって宣伝しようか。

選択肢はお金がなかったので自宅から出張専門マッサージ。
都心の出張マッサージの治療院にいたのでよくポスティングをしていた。
他の治療院のチラシもよく入っていたのを知っていたのでゴミ箱から捨てられたチラシを集めてスクラップブックに整理し始めた。

1年掛けて自分ならこういうチラシを作るというのを自分の美学で作っていった。
いま思ってもシンプルでわかりやすい清潔感のあるチラシだと思う。

ちょうどその都心の地域に美人な指圧師の方で訪問専門にされている方がいた。
この方は朝から16時くらいまでの仕事で17時からは居酒屋で飲むのが日課なんて話を聞いた。
それ凄くいいなあと思った。なぜなら自分は学校に行っていたので10-16時は学校で17-23時は出張中心のマッサージの仕事。

昼間から出張マッサージがあるのかという驚き。
自分も開業したら自分のペースで仕事をしたいと思った。
でも受ける方のニーズが多いのは夜だった。

令和の時代に突入して宣伝はネットに移ったのを実感する。
マッサージのチラシは大きい治療院のは入るが昔のような出張を中心としたチラシは入らない。
入っても風俗系のチラシが多い。

チラシもセキュリティが厳しくなりポスティングが難しくなってきた。
タウン誌も都心ではどうなんだろう?
ホットペッパーのようなフリーペーパーが今は残っている。
ネットと連動している。
クーポン狙いの人が多いので一見さんが多そうだ。

時代にマッチングさせるのは面白くもあり大変でもあり。

もう一度若かったら一から入学してやり直せる?
と聞かれたら今の時代だったらどうなのかな。
今の感覚残っていたらやり直したいけどね。
ほんとに一から構築するのはんーだね。
出会いがあればいいんだけど。いい先生との。この縁があれば救われるのだけれど。歩いてみないとわからないしね。
でも面白い世界ですよ。あん摩指圧マッサージは。