中国で生まれた按摩。
現在では地域によって推拿と呼ばれている。
私が研修した1990年あたり北京の病院では按摩科と推拿科があった。

按摩と推拿はどう違うのか?と按摩科の先生に聞いたら麻酔をするほど重い人(例えば重度の椎間板ヘルニア)は推拿科、その他は按摩科ということだった。(1990年台の北京での病院での話です。)

2週間ほどその病院でお世話になったが推拿科は日本では、整骨・接骨院のようなところではなかったかと想像する。
日本の按摩の特徴の一つは、母指揉捏と曲手。

曲手

車手・挫手・横手(鳴骨の術)・突手・つかみ手・柳手・袋打・耳鐘の術
試験以外で、ほぼ使ったことがない。
使わなかった原因の一つは、周りで使っている方がいなかったのとこの曲でに対しての意味が理解できなかったこと。

そして臨床現場が指圧按摩から入ったのが大きかったと思える。
按摩といえば日本では「慰安按摩」が一般的である。
学生時代に先生に聞いた「医療按摩」があるというのを聞いて俄然興味が湧いたがタイミング悪く、受けるチャンスを逃してしまった。

平成3年あたりの中国では按摩は病院で受けるものであった。
サービスとしての按摩は当時存在していなかった。
通訳に聞いてもそういう社会にはまだなってないといわれた。

中国の按摩師は、当時は、ドクターと変わりなかった。
施術形態は全身按摩ではなく疾病に対する特定部位の按摩であった。
日本のリハビリ室で見るようなスタイルの按摩であった。

中国の按摩の大きな違いは手技の多さであろう。

この中に曲手はこのように使われていたのではないかと思う技が車手と柳手であった。
中国の「よう法」ではないかと気がついた。
服の上から行うのには最適な技だ。

中国から渡ってきた按摩であるが日本と中国の発展では大きな違いが出てくる。
江戸時代に入ると按摩は盲人の職業となった。
中国では盲人と結びつかない。ただ台湾では盲人の人がしていることもあると聞いたことがある。
韓国ではやはり盲人の人がしていることが30年前はしている記憶がある。

韓国から来た人にあん摩マッサージをしたら目が見えるのかと驚かれたことが何度かあった。
こっちの方が驚いた。

台湾と韓国は明治時代から日本に併合されていた関係で教育も日本に準じたのではないかと思われる。[推測]

 

保健(慰安)按摩と医療按摩

日本のあん摩マッサージ指圧科のある学校では一般的に保健(慰安)按摩を教えるのではないか?
それも形だけだ。

専門学校とはいえ資格学校だ。
資格が取れることにだけフォーカスしている学校もある。
残念なのは時間をかけて手技は教えてくれない。

これもまた歴史的な背景がある。
昭和20年代辺りまでは弟子入りするのが普通であった。
学校は基本的な技や解剖生理学,衛生法,法規などを主に教えていたからだ。

実用的な医療按摩の本というのも皆無に近い。
私が医療按摩で参考にした本は、間中喜雄先生の推拿療法。

これは今も名著だと思う。
あん摩マッサージ指圧養成学校で三年間(私の時は二年間)学ぶけれど
多分学校で技術が身に付くことはないと思っていたけれど最近[令和]に入って学校の教師の教え方が妙に上手くなっている。

これは今の若い人がテトリアシトリしないとわからないからだと鍼灸学校で教えている先生が話していた。例えば線香にライターで火を付ける時にこういう角度で・・・と言わないと理解してもらえないことが多々あるので教え方が大いに変わったと話していた。

「見て覚えろ」で習ってきたけれど教えている風景見ていたらこういうふうに習いたかったと思った。

2015年に宝塚医療大学というところがあん摩マッサージ指圧科の申請を出してとっても話題になった。申請が通ったこと自体スゴイニュースになった。
残念ながら認可には至らなかったが是非医療按摩再興に向けて大学にあん摩マッサージ指圧科が出来て欲しいと思う。

日本の按摩と中国の按摩の効果の違い

効果の差を謳いたいところだが、こりゃ施術者の力量によるので、差はないと言ってもイイと断言する。
前述で紹介した間中喜雄先生の著書が刺激になって卒後北京に行った。

私自身あん摩が好きで、よくやってもらう。日本のあん摩は、あまりにも型にはまっていて、緩急・リズム・強弱等の変化がない。
中国でやってもらった推拿は、もっと気持ちのよく、眠気を催すようなやり方だった。適当に刺激的で適当に鎮静的で、さすがに本場だと感心した。
指圧も名人にあたらないせいか私のやってもらった限りでは、中国推拿のここちよさには及ばなかった。 按摩は腕で1本でやる療法である。種も仕掛けもない。上手と下手はそのリズム気合(運気)・強弱の組み合わせの妙を会得するかしかないである。それだけに練磨のかいあるというものである。
間中喜雄先生翻訳 推拿療法 中国あん摩術より

私は先生がいうようには感じなかったのが残念だった。